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【いつでも視聴可能】HOSEIミュージアム映像シリーズ「法政大学の歴史・個性・文化」

HOSEIミュージアムでは、デジタル・コンテンツによる事業を一層積極的に展開するため、本ミュージアム開設準備募金を活かして映像シリーズ「法政大学の歴史・個性・文化」の制作を開始いたしました。このたび2022年度制作分2本を、HOSEIミュージアムYouTubeチャンネルにて公開しましたので、ご案内いたします。

大学・付属校における教育活動や、後援会・校友会等の関連団体における研修・イベントの際など、さまざまな機会に是非ご活用ください。
本映像シリーズは計10本の制作を予定しており、現在は5本を公開しています。
HOSEIミュージアム開設準備募金で賜りました多大なご支援に、あらためて厚く御礼申し上げます。

「腕力世界」から「法律世界」へ-東京法学社の創立-

1880年、法政大学は3名の「無名」の若者たちによって、創立されました。明治維新後、「腕力」が支配する時代から「法律」で世を治める時代へ、大きな時代の転換点に立った若者たちが、人々の権利と自由を求め、最先端の「知」である法律を学ぶ場を興しました。薩埵正邦ら創立者のエピソードとともに草創期の法政大学を紹介します。お楽しみください。


「自由と進歩」の精神-法政大学における学風の形成-

法政大学はその歴史を通じて「自由と進歩」の精神を培ってきました。明治期にはボアソナードを教頭に迎え、リベラルなフランス法派の法律学校として出発し、その後、大学へ昇格する過程では夏目漱石門下や京都学者など新進の研究者が集う場となり、「自由主義的」「進歩主義的」な校風で知られる大学となりました。法政大学で「自由と進歩」の精神が培われていった歴史を紹介します。お楽しみください。

学問の自由を追い求めて―大内兵衛総長と学生たち―

戦争が終わり、復興の真っただ中の1950年に法政大学の総長として就任したのが大内兵衛でした。大内は、「われらの願い」を法政大学の理念として掲げるとともに、キャンパスの再建に力を入れて取り組み、大江宏の設計により、55・58年館など次々と校舎が建設されました。学問の自由を追い求めた大内兵衛総長と学生の姿を紹介します。お楽しみください。

法政理工系の源流-学生と教員がつなぐ学びの軌跡-

戦時下の1944年に法政大学における理工系教育がはじまります。その後、1964年に小金井キャンパスが開発されるまで、4回も移転することとなりましたが、その間には、今につながる工学祭や技術連盟が設立されました。いつの時代も学生と教員が手を携えて歩んできた法政大学理工系の歴史を紹介します。お楽しみください。

大学への「問い」/学生との「対話」-中村哲総長と法政大学の15年-」

大学のありかたが強く問われていた1968年に、中村哲は法政大学の総長に就任しました。中村は、授業が実施できない事態の中でも、学生からの様々な「問い」に対し、対話による解決を追求しました。一方、この時期は法政大学が、文化・スポーツで大きな飛躍・発展をした時期にもあたります。中村が総長を務めた15年間の法政大学を紹介します。お楽しみください。